後回しの理論
やらなければならぬことを後回しにしてしまうことが、多くの人にとっての悪癖である。これは周知のものと思われる。
もちろん私もそれに漏れずこの難癖に苦心していた。
ところが最近この悪癖の妥当性に気がついたのだ。
自分はそうなるまいと思い、認めなかったためにひらめかなかった。
このひらめきは大きい。
後回しにしてしまうことには、正当な理由がある。
”面倒さ”だ。
なんとなく面倒であり、気乗りしないことは後回しにしてしまううえで最も比重の大きい理由である。もちろん口には出来ない。
一見、これは悪癖であるように思われる。まあ、実際にそうであるとは思う。
しかし、いわばこれは逃避ではなく、確実に物事を遂行すべくの論理である。
すなわち、期日までの時間を出来る限り縮小することで、
物事と自分の距離を限りなくゼロにし、
いわゆる”面倒さ”が入り込む隙間をなくし、スムースに取り組むことができるのである。
これはむしろ怠惰でなく工夫といっていいだろう。
しかし、問題はその後回しにすることを決定したときの行動である。そこには比較的多くの隙間を持つために、行動を管理できない。
何よりも本来ならば、”後回し”にすることなく取り掛かるのが望ましいのは間違いの無い事実であるのだ。
この時間の縮小を上手く活用できないだろうか。
面倒さ を上手く活用できないだろうか。
ひらめきは単なるひらめきである。
課題の解決へのスタートラインにたったに過ぎない。