このブログの目的について
そうだった。
このブログを始めたのには理由があった。
いや、もちろん何となく始めたわけではなかったが、最近書かなくなっていたのは忙しさもあるが、書くネタがなかった。
すなわち論がまとまってなかった。
つまり、やっぱり無意識のうちによそ行きの言葉を紡いでいたのだ。
そうならない為に匿名性の中でのブログという形式をとったのに。
誰かに見せようとするからこうなるんだよなあ。
さて、本題。なぜにこのブログを解説したのか。
私は傷ついた。本当につまらない、どうしようもないことで。
そこでは、共感が通貨となり、お互いに価値を交換し合っているが
私には望んだような共感が得られなかった。
つまりは、世の中に嫉妬したのだ。
どんなに価値観を述べても、世に反応を求めても、
本意のわからないいくつかの”いいね!”だけが加算されていく。
表面的には大衆に迎合するなかれと息巻いていても、認めて欲しかったのだ。
自分にとって価値のある人々に。
SNSにはそれらが集まりすぎている。
だからこそ私は傷ついたのであった。
傷つくくらいならやめればいいのだが、それでも価値観の共感、羨望を望んでいた。
匿名であれば、それが言い訳になる。
決して私が認められていない訳ではない。
それに、匿名であることでフラットに価値観を評価される。
そう期待して、本当に望んでいる生き方、大きな価値をおいている物事について
周りの目など気にすることなく自由に書きたい、そう思ったのだ。
決して悪意に満ちた (笑) に屈せぬよう。