二兎を追い、二兎をも得る

日常は無常。心は満腹を知らず、醜くも大衆の亡霊を頬張るばかりである。

このブログの目的について

そうだった。

 

このブログを始めたのには理由があった。

いや、もちろん何となく始めたわけではなかったが、最近書かなくなっていたのは忙しさもあるが、書くネタがなかった。

すなわち論がまとまってなかった。

つまり、やっぱり無意識のうちによそ行きの言葉を紡いでいたのだ。

そうならない為に匿名性の中でのブログという形式をとったのに。

 

誰かに見せようとするからこうなるんだよなあ。

 

 

さて、本題。なぜにこのブログを解説したのか。

私は傷ついた。本当につまらない、どうしようもないことで。

facebookという圧倒的なSNSがある。

そこでは、共感が通貨となり、お互いに価値を交換し合っているが

私には望んだような共感が得られなかった。

つまりは、世の中に嫉妬したのだ。

どんなに価値観を述べても、世に反応を求めても、

本意のわからないいくつかの”いいね!”だけが加算されていく。

 

 

表面的には大衆に迎合するなかれと息巻いていても、認めて欲しかったのだ。

自分にとって価値のある人々に。

SNSにはそれらが集まりすぎている。

だからこそ私は傷ついたのであった。

 

傷つくくらいならやめればいいのだが、それでも価値観の共感、羨望を望んでいた。

 

匿名であれば、それが言い訳になる。

決して私が認められていない訳ではない。

それに、匿名であることでフラットに価値観を評価される。

そう期待して、本当に望んでいる生き方、大きな価値をおいている物事について

周りの目など気にすることなく自由に書きたい、そう思ったのだ。

 

 

決して悪意に満ちた (笑) に屈せぬよう。