二兎を追い、二兎をも得る

日常は無常。心は満腹を知らず、醜くも大衆の亡霊を頬張るばかりである。

”15分から20分”という時間について

いわゆる「意識の高い学生」からそのまま抜け出すことなく

その道を邁進して今や「意識の高い会社員」にランクアップ?したのがこの私である。

さて、この意識の高いという表現には当然ある種の皮肉、悪意が込められている。

 

想像には難くない。というかもう既にかなり流通している表現であると思う。

実力の伴わない意識の高さ、そのギャップの滑稽さを表現しているのである。

 

さて、社会人は学生よりもこの傾向にある人種が多い気がする。

こういった人たちはまた別の呼び名として

ノウハウコレクターと揶揄されることもある。

 

実力が無いくせして、もっといい方法はないか、もっと楽な方法は、

効率的な方法は...。といつまでも実行もせずに自身の行動力のなさを

棚に上げてノウハウに逃げるのである。

 

だから私はノウハウなんて胡散臭い言葉が嫌いだ。

これはある種自己嫌悪に近い。私もそうだった時期があった。

ひたすらに方法論に溺れる。

自己啓発書やらライフハックの類いの記事を読み漁った。

 

それも私の人生であるし否定しようとは思わない。

その時間の中で見えてきたものもある。

誰もが語る本質的な部分と、状況や運に任せた偏ったテクニック。

後者がほとんどであるから胡散臭いのだ。しかしその中に確実に本物は

存在するのだ。

 

さて、ここまでは前置きなのだ。長くなってしまった。

私が、見てきた”ノウハウ”の中で、今でも実践しているものがある。

・瞑想

・仮眠

・ランニング

である。

これらは、自己啓発の分野で取り扱われることが多い気がする(もしくは私の読むものが偏っていただけ?)。

けれどもその割に方法論もくそも無いようなものだ。

やり方がどうこうではなくて、やるかやらないか。

それにどの方法も科学的にその効果は証明されている。

 

という訳で、部屋の乱れは心の乱れ、

心の乱れは日常の乱れ、日常の乱れは...。という具合に

心身のに余裕を持たせるべく上記の3つを実践しているのだが、

この3つには共通した時間認識がある。

タイトルにある、”15分から20分”だ。

例えばランニングにおいてエネルギーの燃焼元が糖質から脂質に切り替わるのが

この時間だし、仮眠であればこの時間の仮眠効果が最も高く、これ以上の時間

は本格的な睡眠に入ってしまうので逆に頭がぼーっとしてしまうということだ。

瞑想に関しても、初心者向けとしてこの時間を目安としている記述は多い。

 

この時間が意味するものは何だろうか。

その答えはもちろんそれぞれの分野において書かれているが、

共通して言えるのは、体がその”モード”になる為に必要な時間である

ということだろう。

 

ランニングの目的はおおよそ有酸素運動効果、もっと言えば脂肪を減らすためのダイエット効果だ。

仮眠と瞑想は目的は似ているが、集中力向上効果であったり、疲労回復効果出会ったりする。

何にせよ、何かの状態に自分を持っていく上でこの時間感覚を念頭においておいた方が良さそうだ。どうやら。

 

例えば作業興奮という言葉がある。

単純作業をタスクの先頭に持ってくると、この作業興奮の効果により

集中力の高い状態で本来やるべき課題に取りかかることが出来るということだ。

おそらくはこの考え方の中でもこの時間概念は存在する。

すなわち、いわゆる仕事モードに自分を持っていくには

15分から20分で完結する単純作業を自分に課す方が都合がよいのではないかということだ。

 

これもどことなくライフハックのようでいささか筆を進めるに躊躇してしまうが、

この時間はおそらく、目は光を電気信号に変換し、心臓は全身に血液を循環させるなど人間がもつ身体の特徴であるように思う。

15分で人生が変わる!なんて書いたらものすごくあからさまにアレ(笑)な表現に

なってしまうが、

たとえ人生が変わらないにしろ15分YouTubeの関連動画を渡り歩いたり、twitterでつぶやきを追ったり、よくわからない魅力的なバナー広告を踏んだりするよりはずっと生産的なのでは無かろうかとは思う次第である。