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二兎を追い、二兎をも得る

日常は無常。心は満腹を知らず、醜くも大衆の亡霊を頬張るばかりである。

”楽しさ”という魔物

どうも。最近は意識たけぇ〜な記事ばかりだったけれども

実はそういう自分が追いついてなかった。

むしろおおよそ人らしい悩みを抱えてなーんにも手付かず!

今日はそんな、普段誰しもが立ち止まり頭を抱える、日常のお話。

 

僕は、お祭りが大好きだ。

人混みは気持ち悪くなるからダメだけど、あの震えるような空気がなんとも言えない。

同じ理由で、学生の頃は運動はそこまで得意でなかったけれど、体育祭も好きだったし

文化祭も好きだった。気持ちが浮つくのが自分でわかる程にはそれらを愛している。

 

ただし、同じくらい、それらが苦手でもあるんだ。

 

何故か。

それは、あまりにそれらが楽しくて、愛おしくて、

終わった後の喪失感に毎回毎回と苛まれるからだ。

おおよそ、そういった楽しさは人に起因しているように思う。

友達とこれでもかと言うほど盛り上がった話を終電云々で遮られた時同じことを思う。

 

楽しいは毒だ。

甘美で、蠱惑的な毒だ。

頭が蕩けてしまいそうだ。

実際蕩けている。だから、辛いのだ。

 

楽しさなど知らなければこんな思いはしなくて良かったのに。

”祭りの後シンドローム”に蝕まれながらいつもそう思っていた。

それでも人は、楽しさに手を伸ばし続ける。一時の快楽だとしても思い縋るのだ。

 

思うに、”楽しい”と”幸せ”は似て非なるものではないか。

同属ですらないと。

幸福になりたい、それはすべての人に当てはまる願望ではないかと思う。

そして、私を含め大部分の人が幸福と勘違いして、全く性質の異なる快楽を求めるのではないかと思っている。

 

いや、楽しいというのは、素晴らしいことだとは思っている。

ただし、それが自発的なものであれば。

 

enjoy

という単語は、「〜を楽しむ」という意味だが、この単語の構造がen-joy、

すなわち、”楽しむということをさせる”となっていることから、目的語と主語を入れ替えて

”〜が楽しませる”とも言える。

 

こういうことだ。

楽しいっていうのは、自分でない他の何者かに(無理やり)楽しいと思わされているのではないか。

それが自分に由来のない不自然なものであるがために、体はそれを毒として扱うのではないかと思う。

 

 

 

説明がくどくなってきたのでこのへんにしておくけれど、

言いたかったのは、楽しい事は楽なことでもあるよってこと。

楽して手にしたものは、すぐに消えてしまうからね。

苦労して手にしたものだけが自分のものとして残り、力となる。

その力で得られるものこそが幸福なのではないかと思う。

誰かに楽しませられるだけの人生はやめて。

同じく誰かを楽しませて、苦しめるのもやめて。

愛を持って、力をもって、幸福をおすそわけしましょ。

 

 

なーんか、幸せとか幸福とかいうと胡散臭くて嫌なんだけど、

まあ、それ以外の表現を今のところ持ち合わせてないからしょうがない。

 

とまあ、私が最近身をもって感じたことを書きました。

だれでも当てはまることはあるはず。例えばあの子と喋ってるとドキドキ楽しいなあ、なんて。

でもそれ、毒だからね。今が楽しい分、めちゃめちゃきついのが待ってるからね。

 

私はなんとか克服しました。

私を保てたのは、侍になる決心と、素直でいようとする心でした。

振り出しにもどった感じですが、これもまたひとつの学びかなあとは思っています。

それではごきげんよう。