二兎を追い、二兎をも得る

日常は無常。心は満腹を知らず、醜くも大衆の亡霊を頬張るばかりである。

勉強と学びと訓練についての手引き

勉強、学び、訓練(練習)。これらの言葉が違っているのは何となくはわかっていても、実際に生活の中で行動として使い分けている人は少ないんじゃないかと思う。

 

ここについて最近何となく感じているところがあるので、まとめていく。

 

最近ようやく英語が理解できて来た。まあ、前に書いた記事にあるようなストーリーには程遠い感じでしたけども。確実に言えるのは、やった分だけしか身につかないということ。英語が普通の人よりもずっと苦手な状態から、逃げながら何度も向き合ってきた。またお前か、また逃げるのか、これをずっと繰り返してきた。それではや数年。ようやく人並みになってきたと思う。

 

一方で、得意だと感じていたものは徐々に武器になってきた。昨年、会社の研修でアメリカに行ってきたが、180人の対象者に対し、参加できるのは20人ちょっと。そんな中、レポートで評価していただき、総合点数一位で通過したらしい。

これにはそれ相応の準備をした。課題になっている、有名だがその頃の私には難しいマーケティングの本。ひたすら読み込んだ。対象者の中でも最も若い部類だったため、上の人たちに勝つには、圧倒的にやりこむ必要があると思った。レポート提出に与えられた約1か月の中で、はじめの2週間は内容を理解することに費やした。特に最初の1週間のうち5日は1日1回読んだ。もちろん、難しいし、それなりにボリュームのあるものだから、時間はかかる。平均して1周読み通すのに5時間以上はかかった。

4時半に起きて、3時間読んで出勤。昼休みにも多少読んで、帰ってきたら、夕飯を食べながら、読み終わるまで続けて、を繰り返した。

はじめはぼんやりしか理解できなかったが、3回を過ぎたあたりから、全体の構造が徐々につながって見えてくるのを感じた。5回目になると、「あ、これって、誰々の何とかっていう理論と本質は同じだな」とか、「ここの部分はうちの会社にも当てはまりそうだな」とか、本の外側の世界とつながっていくのを感じるようになった。そのあと、プレゼン資料のコツを一通り調べて、理解していった内容を当てはめていった。その頃は自分のPCに提出に指定されていたパワーポイントが入っていなかったので、ネカフェで二晩通して資料を完成させた。資料を作るときも都度読み返していたので、最終的には8回程度読み込んだとは思う。それからもうすぐ1年経つが、今でも人に解説できる程度には理解をしている。

ここまでやりこんでの、それなりの結果だったと言えるんじゃないかと思う。

いろんな人が言っているけれど、社会人になって、改めて、勉強は一生涯続くのだと思い知らされる。

 

だからこそ、圧倒的にやり込んでいく必要があると感じる。

そして、そのやり込むにあたって、勉強と学びと訓練を使い分けていなくてはいけないと思うのだ。

 

違いをまとめると

勉強=能動的な知識習得

学び=何らかの事象を受けて知識とすること

訓練=同じことを繰り返して身に着けること

ではないかと考えている。

 

簿記の勉強をする、英語の勉強をする、などというが、これらの勉強の最終目標は知識ではなくスキル(技術)習得にあるのではないか。

 

スキル習得に当たって、勉強で得た知識を使えるように変換しなくてはならない。それには訓練という段階を踏まなくてはならないと考えている。

 

エクセルがそうだった。入社時、全く使ったことのない状態だったが、エクセルを使い倒す部署に配属になったため、毎日10時間程度エクセルを触っていた。1年経った頃にはかなりの速さで処理できるようになったし、少し複雑な数式なら組めるようになった。まあ、私なんかよりも専門的に使いこなす人がいるかもしれないが、別にそこまで極めようとは思わない。部署が変わった今は十分業務上役に立っている。

 

殆どの人にとっての簿記や英語もそうだろう。きわめて専門的な分野までやろうとは思っていないはずだ。でも、だからいつまでも習得できないのではないか。

それは、中途半端に高いレベルのものの”勉強”を続けているからにほかならない。

訓練をしなければスキルは身につかないのだ。

もちろん、まずは勉強からだ。しかし、ここのハードルを上げすぎてはならない。最低限の知識を身に着けることを念頭に置く。本などがいいだろう。これは、繰り返して読むべきだ。繰り返して読めば、先の私のレポートのように、だんだんと情報がつながって来て、立体的になってくる。そうしたら、あとは練習あるのみだ。英語なら、短い文章をつくる、簿記なら、練習問題を解く。これを、ひたすら繰り返すのだ。ここで、自分が苦手なものや、得意なものが見えてくる。これが、学びだ。学びは結果を受けることだ。上司から理不尽な理由で怒られた。学びは、上司が過程を見ずにあくまで結果で物事を判断するということだ。知識習得過程で、訓練課程で、学びが積み重なっていく。これが結晶となり、自分だけの知識やスキルになるのだ。

 

ミニマムのスキルが身につけば、それを足掛かりに、わからない部分は調べながら結晶を大きくしていけばよい。そうすれば、必ず目的地にはたどり着ける。いつまでも説明書を読んでいる時間はない。伝説の武器は、村人がヒントを持っているのだ。まずは旅に出ることだ。

 

とまあ、そんなことを考えた。

 

とはいえ、そんな私が英語できてねーじゃん。となる。至極もっとも。だから、やる。英語を使えるレベルまで引き上げる。そのあとはこれは未開の地だが、プログラミングだ。これをやろうと思ったのには理由があるが、それはまた今度。

では勉強、学び、訓練、学びでやっていきます、と。