二兎を追い、二兎をも得る

日常は無常。心は満腹を知らず、醜くも大衆の亡霊を頬張るばかりである。

かなしみよ、さようなら。

年越し前はおおよそ一年で最もざわついた時期であると思う。

街が騒がしいのは明らかだが、その中に暮らす人々の心も騒がしくなる。

連日の飲み会で楽しさの中にひっそりと孤独が影を落としたり、久々の旧友との再会で羞恥と高慢にあえいだり。安らいだり、怒ったり。

そうして世界とともにざわつきながら、

人は人生を振り返りたくなる。

むしろそう強いられているような気さえするのだ。

 

かくいう俺もそのひとりであり。今からなにかを振り返りたくなったのである。

 

30を目前にして、ようやく実感した事がある。

 

ーーフルマラソンを完走したよ。30キロを完走出来なくて挫折したところから始まってさ。

1週間で85キロ走ったんだ。毎日10キロちょっとと日曜日に20キロちょっと。

ジェフリームーアのエスケープベロシティって本を5日で5周読んだことがあってさ。

日記をかれこれ7年間くらい続けてるんだ。

 

全てやったことのあること。

自分の中でも印象的でよく人に話すエピソードをいくつかあげてみてる。

つまり実感したのはこういうこと。

人はやったことで出来てる。

やっていない事はいつか実践し体験しない限りはその人のモノにはなり得ないんだってこと。

ここでは思想や価値観の話をしているんじゃない。

手前がつまり何者かって言うことだ。

それは、おそらくは、その人のこれまでの経験の具体化である。

経験がその人をその人足らしめるのである。

俺は、あなたは経験で出来ている。

 

そして、経験を作り出すのは、その人を取り巻く環境と、その人自身の価値観、思想、未来への意志である。

 

そういえば、上に書いた経験は、全て挑戦だった。

フルマラソンを走ろう、一日1周本を読み込もう、日記を習慣にしてみよう。

 

それに何か目標があったのか。あったといえばあったが、挑戦すること自体が楽しかった。

 

 これまで何度も、大きな目標を描いた。

これまでの色々を否定した大きな目標だ。

でも、全くダメだった。少なくともいままではは上手くいかなかった。

上手くいかなかったというのは、頑張ったけどダメだったんじゃない、全くやらなかったのだ。

ほんとは努力すべきことはわかっていた。しかしやることができなかったのだ。

そうして、俺は俺のままであり続けているのである。

変わることへの拒絶反応だと思っている。

頭の中で望むことも、心の奥深くでは全く望んでいなかった。

誰かを羨むことも、そうして俯瞰して羨む感性をどこか愛していたのかもしれない。

 

大きな失敗は、自己愛から来るのだと思った。

救えない。

 

しかし、俺は30を目前に気が付いた。

やったことがその人を象るのだと。

そして、目標に向かうよう自分を鼓舞するのではなく、そのプロセスに挑戦することを楽しむべきなのだ。 

その挑戦が経験となり、その人を作り出すから。

それが人が変われる理由なんだ、きっと。

 

来年はきっと上手くいく。今年も今からちゃんとやる。

落胆した、ダメだと思った。でも、ほんとうはちゃんと動いてた。だから気付けた。

清濁併せ呑み前に進もう。