作戦!
どうも、ブログの作法など知りもしない私です。
そもそも、こうしてブログを利用しているけれども、自分の事をブロガーとは思っていない。私がもしそう思っているなら、アマチュアを含めたあらゆるブロガーさんたちに謝らなくてはならない。
しかしながら、このブログという形式を利用した私の思考の掃き溜めはどうやら
おおよそ2、3人の人の目にははいっているらしい。
いやあ、たしかにしびれるね、2、3人。プロのブロガーさん達が聞いたらどうだろ、
笑ってくれたらまだ良い方で、そんな話題を取り扱っていると言う事がブログをなめてるなんて説教してくれたらこれもありがたくて、まあ、こんな零細で自己満足の塊に関心なんて無いだろうってのがほんとのところだね。
とはいえ、私にとってはその2、3人が大きかったりする。
個人的には私は私を非常に気に入っているものだからさ、見てくれている人がいるのがしびれるね。
(いや、読んでくれてる可能性は実は低いってのは承知でね。)
Facebookみたいに個人を特定できない分偏見なんてないし、
twitterみたいに字数の制限もないし、フォロワーやフォローしてる人で推測もされないし。
誰でもない私であることの証明でもあるのだ。
さてさて、ブログに対して無知以外の何者でもない人間の推測の域を超えないうえに具体性にもかける話はおいといて、タイトルにそった話題に入るけれど、
私は10月6日からある作戦を実行する。
少し間があるのは、今はtoeicが28日にあるので、そこに集中してるから。
28日以降も英語の勉強は続けていくけど、とりあえずはひとつの区切りとして。
で、その作戦だけど、
名前をつけた。
「多読合宿!ー思い存分文字に溺れようー」
...いやあ、我ながら端的でわかりやすく何より痛々しいね。
何をするのかは書く必要があるのかって感じではあるけれども、1日中本を読む。
これだけ。
最近は確かにあんまり本を読んでないってのもあったけど、何で読書なんてありふれたことをわざわざ作戦名までつけて始めようとしているのかについて触れていこうと思う。
まず、前提として、私の向上心はかなり強い。
向上心だけなら全人類の上位5%、日本の上位1%に属している気概はある。
ところがどっこい、向上心だけで上手く行かないのは誰だって知っていることだ。
向上心と実力が相まって初めて成果になる。
このブログをはじめたのも、その向上心と実力の間にものすごいギャップがある事を自覚しているからだ。
大した事の無い経歴と無駄に高い目標(個人的には高いとは思ってないのだけれど)。
これを公言したところで、世間の目は冷ややかだ。
たちまち私は意識の高い人(笑)にカテゴライズされるに違いない。
いや、実際今の所はそうなのだけれど。
だから、私は誰も知らないところで私でいるしかなかったのだ。
いわゆる本物は他人の目なんて気にしないだろうし、こんな手段に頼る事も無い。
けれども、私はそうでないのだと、弱い人間なのだと知っているからこそ、
自身への意識付けも踏まえてこうして文字にまとめている。
文字にまとめる事への効果はどこかで書こうと思う。
というわけで、現状では実力が目標に追いついていない私が思いついたのが読書だった。
どんな目標であれ、読書が直接効果を出す事はあまり多くない。
しかし、この読書をする能力こそが、凡人かどうかを分ける要素でないかという仮説が浮かんできたのだ。
速読術というものがある。文字を図形として認識したり、視野を固定する、音声化しないなど様々な方法が流通しているが、どういった方法を取っているかわからないが
東大など一流と呼ばれる大学に入る人達はみな読むのが早いのだそうだ。
みんながみんなそういう速読のテクニックを使っているとは考えにくい。
おそらく、そもそもの情報処理能力が違うのだ。
例えば、絵本ならば誰でもすぐに読み終わるだろう。東大生とよーいどんで競っても大した差は出ないはずだ。
では論文など専門的な内容ならばどうか。
ここで圧倒的な差が出てくるはずだ。この違いは無意識に処理できる情報の違いにあると考えている。
英語でも同じ事が言える。
The guy wrote a book.
これなら誰でもすぐに読める。
では詳細を加えたこちらでは?
The tall guy who is well known as an actor wrote a controversial
book about the new regime of the country.
英語が得意でない私は、うーん、えっと...。となってしまう。
これも、一流の彼らなら難なくさらっと読んでしまうはずだ。
この英文で言えば、前提として、語彙、それからこういった比較的長い文章の構造に対する慣れが必要になってくる。
そう、「語彙」と「慣れ」。これが情報処理能力の差であるのだ。(と思う)
この2要素を補完する手段として、今回の作戦、「多読合宿」を実行するのだ。
これは情報処理という基礎力の養成を目的にしている。
基礎が無ければどんな効果的なやり方も身に付かない。
力こそが全てだと思う。
どんなに優れた人間性や考え方を持っていても、それを行使し実現できる力が無ければ無意味なのだ。
力が無くては誰も幸せにできない。自分すらも。
幸せが何であるかについても別で書きたい。
で、この基礎力養成だけれど、その日一日頑張っても何にもならないことは明らかだ。
これは継続して行っていく。こうやって、日取りを決めてやるのは、毎日本を読む、では意識的な読書が出来ないし、一度挫折するとその後の立ち直りが困難だからだ。
それよりもはじめは、1日を読書の為だけに費やし、かつてない程の読書体験を自分に与える為だ。
そうやって体験する事で自分の枠を広げる事が出来る。と考えている。
それから、マルコム・グラッドウェルが書いた天才!(原題:Outliers)
には有名な”1万時間の法則”というものが書かれてある。
これは桁外れの実績を生み出す、いわば天才は、その対象に累計1万時間を超えた時間を費やしている、という調査結果だ。
何かをものにするには、相応の時間を費やす必要がある。
これは技術習得の王道であると信じている。例えば英語でもそうだが、日本人の7割以上は英語を習得したいと考えているらしい。
ところが実際に英語を話す日本人はおそらく全人口の10%に満たない。
これはどういう事かというと、英語に捧げる絶対的時間が足りないのだ。英語と日本語は構造が根本的に異なっている為、言語同士で応用が効かず、習得に時間がかかるというのはよく知られた話だ(中国語で400時間、英語だと2,000〜3,000時間程度必要なのだそう)。途方も無い時間を前に、多くの人は習得に至る前にやめてしまうのだ。
話は逸れたが、読書にも同じ事が言えると考えている。
読書をしている全ての人が一流では無いかもしれないが、一流と呼ばれる人々は往々にしてこの読書を「習得」しているのではないか。絶対的時間を費やす事によって。
これが私の仮説の中心だ。
つまり、読書を真に「習得」することによって、情報処理の基礎力が上がり、その他の学習効果を加速度的に向上するのではないか。という事をひらめいたのである。
これを思いついた時にはまだなにもしていないにも関わらず嬉しくて飛び跳ねる勢いだった。何となくやらなければと思っていた読書に思わぬ動機付けができた事も嬉しかった。
ただ、私がこうして、読書が絶対いいよ!なんて例えばFacebookで言ったところで
そんなこと知ってるわ、とか、はいはいそうですかなんて言われるか、無視されるかだ。
だって肝心の結果が出ていないのだからね!
という訳で、その効果を私が実感してから、ドヤ顔で語ってやる事にしましたよ。
まあ、それくらい自信はあるけど、決定的ではないなあ、っていう。
つまりは自信がないのね。
という訳で、どういう風に進めて行くのかをいかにまとめました。
ここにたまたま訪れた2、3人の方々はせっかくなので試してみては?
もちろんそれで時間が無駄になっても責任とれないですけどね。
<読書合宿(1回目)>
日程:10月6日(月)
時間:午前10:00〜午後20:00
(途中1時間程度の昼食休憩あり)
場所:近所の市立図書館
内容:ひたすら本を読む。
持ってくるもの:kindle、本(ジャンル問わず読みたいもの3冊程度)
目標:5冊を読了すること。最低3冊
備考:携帯、PCは持ち込み禁止。あくまで合宿に来ているという事を理解すること。
という内容でやるつもり。
当面は、同様の内容を隔週で行う。5冊読み終わらない場合は次の合宿までに読む。
これで、月10冊。年間120冊をこなせる。
慣れてきたら極力毎週行っていく。そうして年間200冊のペースを作っていく。
年間200冊が恒常的に行える段階になると、情報の選別能力も磨かれていくと睨んでいる。不必要なものは学ぶ必要は無い。
やろうとしているのは、平日は英語、休日は読書という生活だ。
30代に入る前に基礎を固める。
その基礎って言うのが、英語(世界とのコミュニケーション)と読書(情報処理能力)だと思っている。
これもひとによっては違うかもしれない。違うと思うならそれでいい。
そうだと思うなら、一緒に頑張ろう。
この合宿の記録や、英語学習の成果はここに書いていくつもりでいる。
そのうち今の私がどれだけ実力がないのか、それに対して目標がどの程度のものなのかについても書こうと思う。
しばらくは(もしくはずっと)個人を特定されないだろうからね。
それでは。